2014年9月2日火曜日

いえ

居心地のいいだらけ部屋がいいんだけどきっと、
機材だらけの部屋になるんだろうな。
恋人がねそべりながらならすギターのアルペジオが、
贔屓目なしになかなかいい展開なんだよ。いつも。

2014年8月28日木曜日

R is for remembrance



日曜日に「ただようまなびや」へ参加してきました。
受講したのは2コマ。ひとつは柴田先生が講師で、W.H.Daviesの古典的な英詩を翻訳して歌にあうかたちにするというもの。もうひとつは大友良英さんとSSWの浜田真理子さんと1コマめの翻訳に実際にメロディをつけるというのをやってきました。

全然英語得意じゃないけど、柴田先生に添削してもらったり、意見を述べると「じゃあこれはどうかな?」ときちんと向き合ってもらえて驚きひとりひとりの宿題を紹介していったので最後時間がなくなってきてあと2分でどうする、って展開だったけど、そこは長年培った教師経験でねじ込みながらやりきるところもすごかったです。英文を訳すときには語順に気を付けないといけない、それを「小さな親切余計なお世話」と言ってたけど、本文では後半にでてくる言葉を日本語の関係で先に出すのはよくない、というのは翻訳教室でも、今回のWSでも話されてました。でも今回詩を訳す授業で思ったことは詩はもっとリズムとかトーンとか自由なのかな、というものでした。物語と基本の内容はあるけど、どの語を強調するかとか、どの視線で切り取るかとか、もっと映像の編集に近いような感じがしました。
曲つくりは大友さんがすらすらコードつけてって浜田さんがきれいな声で歌ってくれました。欲を言えば、わたしはあの詩はそこまでやりすぎないバランスがよかったかな。
ロングホームルームで各講師が自分のクラスの振替りをしてくれたのですが、吉増剛造先生の気持ちよさそうに話すのがとても印象的でした。すごく気持ちよさそうに指揮するコンダクターみたいだった。

帰り際、柴田先生にサインをもらって、友達になったひとたちとバイバイをしてから「さて」と帰りにに寄ったレストランで、フラミンゴが生息する庭を鑑賞しながらシーフードを食べました。

2014年7月29日火曜日

Reflector



FujiRockでArcade Fireをみてきたよ。
圧巻のライヴは感動する暇もなく目の前を過ぎていってしまった。
それなのに数日経ってなおArcade Fireの隅々がReflectしまくっている。
反射した光が過去の曲を浮き立たせるんだよ。
それってすごいことだと思う。

オルタナティブのざらついた表面とか、シンプルなリフの繰り返しとか、
それでいて一貫して狂いのないまっすぐなコンセプチュアルなところの
あー、もうすべての混ざり合った具合がほんとうに最高なんだ!
向かい合った2人の声がセルフリバーブみたいにリフレクトし合うところなんか
疑いなく会場にいるみんなが息をのんだと思う。
それがIt's never overだなんて。 

(これは拾い物の写真。
わたしの鼻の先をレジーヌがきらきらしたマントを翻して歩いていった。)

2014年6月7日土曜日

2014年5月8日木曜日

LOW



だいたい夜の粒子はまだぬれているいるけども、
昼間は鬱蒼と暖かな日も会って、そういった日には窓を開け放して、
布団を干して、窓を拭いたり、普段のぞかない低いところを拭ったりしている。
(でも彼はあれなんで開いているのかしらという風に、気づくとすぐに閉めてる。)

そんなことしていたら、ある日玄関の天井にわりかし大きな蜘蛛が正座していた。
なんだかおとなしそうだったので、その日は様子をみることにした。
翌朝、おなし場所を確認すると、少し移動していたけれど、
壁と天井の隙間にそっと潜り込んで、あいかわらずじっとしていた。
仕事から帰ってきても、また少し座軸の点Pは移動していたのだけれど、
だいたいそんな態度だったので、数日様子をみていた。
それなのに、ある夜、寝る前にふと天井を見上げると、
蜘蛛はほとんど猫が顔を洗うみたいして、忙しそうに糸をはき、移動してはまた糸をはき、その糸の強度を確認するために少しぶらさがって、はて少し休憩。

私は裏切られた思いで蜘蛛と絶交したんです。
それから思い出したように、隣の山ばかりの県へ引っ越した古い知り合いに、
結婚おめでとう、と伝えたんだよ。
彼といつも話していたユーモア、つまるところ来世なんか屑のようにきれいさっぱり消えたんだよ。

2014年5月6日火曜日

J.D.S



「サリンジャー 生涯91年の真実」を読んだ。
サリンジャーの作品では、ほんとうに、登場人物にとても近い視界と、ハートと、
読者が背景の前後左右ぐるりを確認できる自由さがとても精密に積み上げられているのだけれど、それが一体どういうことなのか、この本を読んで納得しました。

ホッチナーの話でいちばん興味ふかいのは、サリンジャーが選んだ言葉だ。彼はホッチナーに「言葉のなかに」炎を埋め込むのではなく、「言葉と言葉のあいだに」炎を置け、と忠告した。その指摘することろは、真の意味は作者が指示するものではなく、読者に感じられるものだということだ。それはとくにサリンジャー的な概念で、サリンジャーをサリンジャーたらしめている要素である。

2015年に、遺作が無事にサリンジャーの指示通り発表されますように。

2014年3月31日月曜日

コーナー



昨日、山中伸弥教授と、あらっぽい演奏をするヴァイオリニストなどが出ていたテレビ番組で、
胎児のときに母親が炭水化物をとらないグループは、
生まれて成長する過程で肥満児になりやすいとあった。
きっと私のママは、私がおなかにいる頃なにかを我慢していたにちがいない。

突然めくられたみたいに春っぽくなってきて、
明日わたしがタバコを買うときいったいいくらになっているんだろう。
現状整理と解決すべき課題、その間にあるギャップを解決するための施策とかそんなの全然。金を払わないで、マトリックスとか使わずに触り心地のいい着古した感じまでのギャップを縮める作業に着手している。んだと思う。思います。




2014年2月18日火曜日

すべての美しい馬



















コーマックマッカシーの「すべての美しい馬」を読んだ。
それまで熱心に読んでたいた別の本はとても機内に持ち込めない重さだったので、という理由で選びとった文庫本だった。

故郷を捨ててメキシコを目指す主人公ジョングレイディの端的な魅力は、それを擁する熱量を肌に感じられるぐらい近かった。そして砂漠の夜の深さはその熱を心地よく冷ましてくれた。
装飾の多い独特の文体にも関わらず、その文章から香のように立ち上がる風景は雄大でどこまでもクリアで、切れ目ない文章はもはやその文章が描く草木の一本一本となって、そこに置かれたあらゆる一節が各々の役割を担いミクロにもマクロにも広がって体の中に吸収されるようだった。
とても美しい均衡を体験できた。素晴らしい本だった。

2014年1月17日金曜日

しごと


2014年。せっかくの旅行を振り返る暇が無いほど毎日、まいにち、あわただしい。
だらだらすることをこれほど愛しているわたしが、
こんなに仕事をかかえてしまっているのよえぇ!

忙しいときに1日の撮影が入るとすごく、しんどい。
でも今日はわたしの好きなカメラマンさんで、待ち時間に楽しい会話も多かった。
とても寛大だなぁ、と思えるひとで、アシスタントくんにもちゃんと接している。
その、30代にはあまり見えないカメラマンは、プロじゃない被写体を自然な状態にほぐし、
ごまかしじゃない表情を引き出すことに並はずれたセンスを持っている。
感覚を正確に述べると、表情を引き出すというより、
被写体はみな、うすい表情の幕に覆われてしまう感じがする。
覆われるというのはペルソナのようで語弊があるのは承知なんだけれど、
それは決して一般的な嘘の表情という意味ではなく、ちょっとしたとりつかれるための装置のよう。
(現場にいなきゃ伝わらないニュアンスだとは思うけれど。)
それから、そのおおらかさといったら一緒に仕事をしていても、
まるでスタンドの足に蹴躓くみたいに、しばしば寛大さの端っこと接触するような感覚がある。

30代のデザイナーやディレクターと一緒に仕事をしていると、
彼らの世代はかっこつけの世代なんだな、と思うことがよくあるのだけれど、
(それとも経験に脂がのるから?)
(そして私たち20代を見渡してみる限り、あんましかっこつけを言動の柱にしているひとは
いない、もちろん両者とも無自覚なところで。)
だからそういうのなしに、人の素質をとんでもなく感じられるのって、すごくいいこと!と思った1日だった。
明日もしごと。