2014年3月31日月曜日

コーナー



昨日、山中伸弥教授と、あらっぽい演奏をするヴァイオリニストなどが出ていたテレビ番組で、
胎児のときに母親が炭水化物をとらないグループは、
生まれて成長する過程で肥満児になりやすいとあった。
きっと私のママは、私がおなかにいる頃なにかを我慢していたにちがいない。

突然めくられたみたいに春っぽくなってきて、
明日わたしがタバコを買うときいったいいくらになっているんだろう。
現状整理と解決すべき課題、その間にあるギャップを解決するための施策とかそんなの全然。金を払わないで、マトリックスとか使わずに触り心地のいい着古した感じまでのギャップを縮める作業に着手している。んだと思う。思います。




2014年2月18日火曜日

すべての美しい馬



















コーマックマッカシーの「すべての美しい馬」を読んだ。
それまで熱心に読んでたいた別の本はとても機内に持ち込めない重さだったので、という理由で選びとった文庫本だった。

故郷を捨ててメキシコを目指す主人公ジョングレイディの端的な魅力は、それを擁する熱量を肌に感じられるぐらい近かった。そして砂漠の夜の深さはその熱を心地よく冷ましてくれた。
装飾の多い独特の文体にも関わらず、その文章から香のように立ち上がる風景は雄大でどこまでもクリアで、切れ目ない文章はもはやその文章が描く草木の一本一本となって、そこに置かれたあらゆる一節が各々の役割を担いミクロにもマクロにも広がって体の中に吸収されるようだった。
とても美しい均衡を体験できた。素晴らしい本だった。

2014年1月17日金曜日

しごと


2014年。せっかくの旅行を振り返る暇が無いほど毎日、まいにち、あわただしい。
だらだらすることをこれほど愛しているわたしが、
こんなに仕事をかかえてしまっているのよえぇ!

忙しいときに1日の撮影が入るとすごく、しんどい。
でも今日はわたしの好きなカメラマンさんで、待ち時間に楽しい会話も多かった。
とても寛大だなぁ、と思えるひとで、アシスタントくんにもちゃんと接している。
その、30代にはあまり見えないカメラマンは、プロじゃない被写体を自然な状態にほぐし、
ごまかしじゃない表情を引き出すことに並はずれたセンスを持っている。
感覚を正確に述べると、表情を引き出すというより、
被写体はみな、うすい表情の幕に覆われてしまう感じがする。
覆われるというのはペルソナのようで語弊があるのは承知なんだけれど、
それは決して一般的な嘘の表情という意味ではなく、ちょっとしたとりつかれるための装置のよう。
(現場にいなきゃ伝わらないニュアンスだとは思うけれど。)
それから、そのおおらかさといったら一緒に仕事をしていても、
まるでスタンドの足に蹴躓くみたいに、しばしば寛大さの端っこと接触するような感覚がある。

30代のデザイナーやディレクターと一緒に仕事をしていると、
彼らの世代はかっこつけの世代なんだな、と思うことがよくあるのだけれど、
(それとも経験に脂がのるから?)
(そして私たち20代を見渡してみる限り、あんましかっこつけを言動の柱にしているひとは
いない、もちろん両者とも無自覚なところで。)
だからそういうのなしに、人の素質をとんでもなく感じられるのって、すごくいいこと!と思った1日だった。
明日もしごと。

2013年11月9日土曜日

knock off


ローラン・ビネのHHhHを読み終わった。
それで今、ナインストーリーズをもういっぺん読み直している。
サリンジャーは野崎訳しか読んだことがなくって、
別の人が訳した本はどうなのかなぁと手に取ったのだけれど、
やっぱしおんなじ風に心が揺さぶられる。
書かれてなんかいないのに、日のまぶしさや顎についた砂の感触、
ほとんど無音なのにとんでもなく拡張されたようなざわめき、鬱蒼とした室内の空気、部屋の暗さ、
そういったものが、確かにある。
カポーティーやサリンジャーの文章からは描写されるイメージを超えて、実際を感じる。
背後の気配が分かる。

そんなところに一滴、イノセンスを垂らされると、実感と際立ちが上手に作用して
為す術もなく過剰に反応してしまう。
帰り道、バナナフィッシュがたくさん空を泳いでた。

2013年11月4日月曜日

innocent



上司にルーリード死んじゃいましたね、って話をしたら彼の死を知らなかったらしく驚いていた。しばらくして
「俺、高校生のとき聴いてたな。リアルタイムじゃないよ?
トランスフォーマーはなくしちゃったけど。」
と話していた。羨ましかった。
私なんかサリンジャーも高校卒業してから読んだってのに。


2013年11月3日日曜日

LIT




パークハイアット東京のバーにThe L.I.Tってカクテルがあるんだよ、と教えてくれたので
人気のない新宿西口方面をたらたら歩いて高層ビル群を抜けた。
残念ながらそのカクテルの飲めるバーにはいけなかったので、41階の別のバーに行った。
あのとき歩いた夜道の風景なんか、よく覚えてる。
都庁のそばにずらっと簡易トイレが並んでた。翌日は東京マラソンだった。
私は紺色のコートについた花型の第一ボタンを、とってははずし、はずしてはかけて、

帰り道に餃子屋に寄った。2人ぐらいしか入れない店内を構えるその無愛想なおやじから、焼き餃子を2パック購入した。
おやじの餃子はたまげるほどおいしくて、そのおいしさに汚いアパートの一室で2人は大笑いをした。

2013年10月27日日曜日

オルタナテイブ



自転車で長い下り坂をかけ抜けた先の吹奏楽部と共有の入り口前で
数人のホルンさん達やトランペットくん達がパート練習をしている。
同じケースを手にした私は少し居心地わるく思いながらその脇を抜け軋むドアをあける。
扉にはふたつのサークル名が掲げられている。
曜日ごとにこの部屋の管理サークルが入れ替わるのだ。
オルタナティブという言葉に触れるたび、私はこの部屋の埃っぽいカーペットを思い出す。
それはほとんど、かつてカーペットだったもの、という代物なんだけど。

最終の練習枠を終えて部室を出ると、春の真夜中はまだ冷たい夜露のようで、
まぁでもそんなことはさっき灰がいっぱいになったバケツに吸い殻と一緒に放り込んだ。
彼らはジャージのままあてもなく車をとばす。
車には計器なんてないようなもので、それにわたしたちはほとんど時間も所持してない。
なんであの頃、さかんにあちこちの港に行っていたのだろう。
その時々で寄港している船は様々だった。
北へ向かうフェリーや自衛隊の艦隊や世界を回っている旅客船。
それらをフェンス越しにしばらく眺めていた。
車内のむせるような非生産的な空気はいつでもひどく心地よかったな。
あったかい土の中みたいだった。